2022年02月09日

ギルバート・キャプラン

こんな人がいたとは、知らなかった。ネットで見かけた情報が土台になっているので、怪しいところもあると思うけど、ご容赦ください。

ギルバート・キャプラン(1941〜2016)は、マーラーの交響曲第2番「復活」「だけ」の指揮者だった。1965年に友人に連れられてストコフスキーが指揮した演奏(コンサートとも、リハーサルとも書かれている)を聴いて「稲妻に打たれ」て以来、、この曲をわが物として指揮をすることに人生を賭けたらしい。ピアノの先生についてジュリアードを目指しても、もう遅い……と思ったかどうかは分からないけど、型破りな最短距離をひた走ったことは事実だ。

仕事は投資家向けの専門紙を創業して編集長としても活躍し、会社を大きくした。それを売り飛ばして、マラ2大作戦の資金にしたらしい。指揮法のレッスンを受けて、ゲオルグ・ショルティにも師事をした。そしてついにオーケストラと歌手を雇って、40代でエヴリィ・フィッシャー・ホールでコンサートをやってのけた。このときにチケットを一般販売することはなく、いかなる批評もしないことを条件にしたらしい。でも二人の批評家が好意的なコメントを出したために、大評判になった。最初で最後のはずだったのが、結局はさまざまなオーケストラからのオファーを受けて、マラ2を振ることになった。ロンドン交響楽団と吹き込んだアルバムは17万5千枚も売れただけでなく、高い評価を得たそうだ。来日して、新日本フィルで振ったこともあった。

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キャプランは演奏だけでなく、譜面のブラッシュアップにも余念がなかった。指揮をすると総譜とパート譜が食い違っていたり、さまざまな指示の間違いがあったらしい。マーラーは猛烈に忙しい人だったのでミスも多かっただろうし、本人も自覚して死の前年まで楽譜に手を入れていた。キャプランはその自筆譜面を入手して、音楽学者の協力を得て500箇所に渡って修正をほどこした。校訂版は国際マーラー協会も承認し、クリティカル・エディションとして出版された。校訂に際して、問い合わせを受けたウィーン・フィルの首席クラリネット奏者で副団長だった、ペーター・シュミードルがいたく感動したらしい。ついにウィーン・フィルからオファーを受けて録音を果たし、ドイツ・グラモフォンから発売された。

何とも爽やかな生き方で、素晴らしいと思う。快男児だ。第2番のみ、というのも良い。マーラーを聴きこんだ人なら、晩年の作品の方がもっとやりがいがあっただろうに……と思うかもしれない。想像するに他の曲に手を出さなかったのは、職業音楽家へのリスペクトから、あるいはアマチュアとしての矜持を保ちたかったから、ではないだろうか。
posted by あおのり at 19:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家

2022年01月27日

橋渡しとしてのECM

ECMがリリースしてきたアルバムを、あえてジャンル分けすると実に多岐に渡っている。マイナー・レーベルでありながら、ジャズ、ヴォーカル、フュージョン、民族音楽、クラシック、古楽、現代音楽までをカバーしているのは驚くべきことだ。でもそこには共通している要素があって、技巧的に優れているミュージシャンたちが、余計なものを削ぎ落して、今までにない音楽を創り出してきたことだ。その共通要素にマンフレット・アイヒャーの美意識が投影されており、そぐわないものはその場で排除される。

「ECMの真実」(稲岡邦彌著 河出書房新社)で紹介されていた、エピソード。リッチー・バイラーク(p)がジョン・アバークロンビー(g)とのセッションで、つい熱くなった。アイヒャーが「ECMにアート・ブレイキーは要らない!」とダメ出しをしたら、バイラークは「たまには、俺たちの好きなように演らせろよ!」と応酬。あわれバイラークは出入り禁止となり、彼のリーダー作はカタログからも消されてしまった。日本ではトリオからリリースされていたので、「昔の作品も聴いてみたい」というファンのために、来日したときに買い集めていたらしい。

ダメ出しに「アート・ブレイキー(ds)」が出て来たのには、笑ってしまう。アイヒャーはアフロ・アメリカンの曲線的な、うねるようなリズムが性に合わないのだろう。ECMのドラマーですぐに名前が出て来るのは、ヨン・クリステンセン、ポール・モチアン、そしてキース・ジャレットのスタンダーズ・トリオでもおなじみのジャック・デジョネットだ。デジョネットは繊細と爆発のレンジが広いダイナミックなドラマーだけど、リズムそのものは直線的な印象を受ける。曲線的なうねりを延々と繰り返すハードバップのグルーヴは、ECMには要らないということだろう。ぼくを含めてジャズを好きな人の多くは、その繰り返しに浸るのを喜びとしているのだけど。

ぼくは高校生までロックを聴いて来て、でもキース・ジャレットの「マイ・ソング」でECMを好きになった。ロックになじんで来た耳でも、すっと入って行くことができたのだ。たとえアート・ブレイキーの「モーニン」を「これからジャズを聴くんだったら、まずコレだよ」とレコード屋のオヤジに勧められたとしても、ジャケットに恐れをなして買わなかっただろうし、聴かされても好きになったかどうかは微妙なのだ。「ECMスペシャル」というサンプル盤のピアノ編に収録されていた、ヤン・ガルバレクやスティーブ・キューン、ラルフ・タウナー、リッチー・バイラークなどのレコードを買うようになっていった。

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ECM Special VII / New Music In Piano たしか1,000円で売られていた。それで沼にひきずりこまれたので、トリオは商売が上手だった。

いずれジャンルを超えて、アイヒャーの美意識が貫かれているのがECMだ。共感することができたら、ECMを橋渡しにして他のジャンルに分け入っていくことができる。学生時代から聴き続けて意外だったのは、「即興」がアイヒャーの美意識ではなかったことだ。譜面を弾くクラシック音楽も New Series としてリリースするようになり、ガチガチに書き込まれたベートーヴェンやブラームスの曲もECMで聴くことができる。逆に、クラシック音楽のファンがECMでジャズに出会うこともあるだろう。偏狭な美意識に橋渡しをしてもらうのは逆説的で、痛快でもある。
posted by あおのり at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家

2021年12月31日

ぼくたちには歌がない

休日に用事がなければ山歩きをするか、自転車に乗りたい。インドアの仕事なので、出歩くのが息抜きになる。とある山頂で休んでいたら、「俺はよう、大晦日は紅白歌合戦つまらなかったら岩手山に行くのよ」と言うおっさんがいた。岩手山は標高こそ2000mちょいだけど、緯度が高くて単独峰なので、空気の薄さを除けば富士山と同じ条件と思って良い。天候に恵まれたとしても、ご来光を拝む前に吹き飛ばされるのがオチだろう。並みの人なら、ね。バカこくんでねえ!と言いたかったが、その前に「24時間で岩手山を4往復した」と豪語していたので、笑って聞くしかなかった。標高差1400mは、これまた富士山を5合目から登るのと同じなのだ。並みの人ではないのか、いまや絶滅したかに思われたホラ吹きなのか、どっちかだろう。

紅白歌合戦は、確かにつまらない。いっそ「昭和歌謡曲」とか「「ニューミュージック」とかに絞った方が、若い人たちにとっても新鮮で楽しめるんじゃなかろうか。いや「東西落語寄席」や「グローバル・ジャム・セッション」の方が良いかな。ともかくラジオやテレビで「みんなで同じ歌を楽しんでいる」ことを前提にしたイベントは、もうそんな時代が終わっているのだから、前世紀の遺物と言ってよい。

昔、昔、その昔は違っていた。20年ほど前のことだけど、老人保健施設で音楽療法のマネゴトをしていたことがある。オカリナで唱歌や童謡、流行り歌を吹くと「鳩笛だあ」と聴いてくれるだけではなくて、歌詞なんか見せなくても一番、二番と、大勢で歌ってくれるのだ。今年の紅白で歌われる「いい日旅立ち」や「津軽海峡冬景色」を、歌詞を見ずに、同世代で歌えるんだろうか。「ぼく」に歌はあっても、「ぼくたち」に歌はない。豊かだけど淋しい世の中だとしたら、どうやって人のつながりを作っていくのか。偽りの世界と言ってもよいSNSで、満たされるんだろうか。せめてコンサートやライヴに出かけましょう、コロナの様子をうかがいつつ。

posted by あおのり at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家

2021年11月14日

モーツァルトを弾く藤田真央

NHKの「クラシック倶楽部」で「ヴェルビエ音楽祭2021 藤田真央 モーツァルト・リサイタルT」が放映された。モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲の演奏を、同音楽祭で披露したとのことで、7月23日に収録されたピアノ・ソナタ イ長調「トルコ行進曲付き」K.331、ヘ長調 K.280、ヘ長調 K.533の3曲を聴くことができた。可愛らしいと言ったら失礼かもしれないけど、ふだんクラシック音楽に興味を示さない妻でも、「可愛い〜」と喜んで見ていた。

演奏はよどみなく軽やかで、化け物のようなスタインウェイのコンサート・グランドからこんなに「可愛らしい」音が出て来るものかと驚いた。ピリオド楽器のフォルテピアノよりも軽くて、それでいてモダンピアノならではの透明感のある音色は魅惑的だった。その時代に作曲されたからと言ってピリオド楽器で弾けば良いと言うものでもないだろうし、聴いて良ければどっちでも良いのだと思う。

クラシックではグレン・グールド、ジャズではキース・ジャレットと、「素晴らしいピアニストに限って姿勢が最悪」と言われる例もあるけど、藤田真央の姿勢は理にかなっていてきれいだ。股関節を柔軟に使って腰をを起こし、尻をでんと据えて、しっかり身体の軸を立てている。前屈みになるのは身長が高い、あるいはピアノが低いせいで、尻から背中までは軸が通っている。それがピアノ演奏にどの程度寄与しているかどうかは知らないけれど、少なくとも心理的に安定して悠然と弾けるのではないだろうか。若いのにチャイコフスキー・コンクールで第2位を得たのは、彼の「姿勢」によるところも大きいと思う。

妻は「この人が来たら聴きに行きたい」とか言ってたけど、「可愛い」でも何でも、コンサートに人が入るのは良いことだ。コロナの心配をしなくて良い日が、訪れますように。
posted by あおのり at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家

2021年08月05日

大槌のクイン

今日はマスター、佐々木賢一さんの命日なので、大槌のジャズ喫茶「クイン」に向かった。むちゃくちゃな猛暑なので、バイクだと人間の日干しが出来上がりそうだ。クルマにしたけど、エアコンの効きがいまいちな気がする。若い頃は猛暑もへっちゃらだったような気もするけど、暑いのが身体にこたえると、トシなんだなあと思ってしまう。大槌駅前の「三陸屋台村おおつち〇〇横丁」(〇〇は伏字ではない、マルマルと読む)の中に、クインはある。

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クインの店内。ジャズ喫茶にありがちな「真っ暗で大音量」ではないので、ご安心を。

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旧店舗と同じく魔窟系だけど、センス良くくつろげる空間。

ここはおそらく日本最東端の、ジャズ喫茶だ。宮古市の魹ヶ崎(とどがさき)が、日本最東端。この近くでは釜石のタウンホールもあるけど、タウンホールよりはクインの方が東に位置している。色んな人が色んなモノを持ち込むものだから、店内はジャズに関するモノで埋め尽くされ……つつある。コロナで飲食業はどこも大変だけど、店主の佐々木多恵子さんはいつも通り明るくもてなしてくれた。ジャズのイベント、他のお店や愛好家の動向、地域のことなど、そんな話をああでもない、こうでもないと話ができるのはありがたい。何とかコロナの時期を乗り越えて、多くの来店者を迎えるようになることを願っている。
posted by あおのり at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家