ギルバート・キャプラン(1941〜2016)は、マーラーの交響曲第2番「復活」「だけ」の指揮者だった。1965年に友人に連れられてストコフスキーが指揮した演奏(コンサートとも、リハーサルとも書かれている)を聴いて「稲妻に打たれ」て以来、、この曲をわが物として指揮をすることに人生を賭けたらしい。ピアノの先生についてジュリアードを目指しても、もう遅い……と思ったかどうかは分からないけど、型破りな最短距離をひた走ったことは事実だ。
仕事は投資家向けの専門紙を創業して編集長としても活躍し、会社を大きくした。それを売り飛ばして、マラ2大作戦の資金にしたらしい。指揮法のレッスンを受けて、ゲオルグ・ショルティにも師事をした。そしてついにオーケストラと歌手を雇って、40代でエヴリィ・フィッシャー・ホールでコンサートをやってのけた。このときにチケットを一般販売することはなく、いかなる批評もしないことを条件にしたらしい。でも二人の批評家が好意的なコメントを出したために、大評判になった。最初で最後のはずだったのが、結局はさまざまなオーケストラからのオファーを受けて、マラ2を振ることになった。ロンドン交響楽団と吹き込んだアルバムは17万5千枚も売れただけでなく、高い評価を得たそうだ。来日して、新日本フィルで振ったこともあった。

キャプランは演奏だけでなく、譜面のブラッシュアップにも余念がなかった。指揮をすると総譜とパート譜が食い違っていたり、さまざまな指示の間違いがあったらしい。マーラーは猛烈に忙しい人だったのでミスも多かっただろうし、本人も自覚して死の前年まで楽譜に手を入れていた。キャプランはその自筆譜面を入手して、音楽学者の協力を得て500箇所に渡って修正をほどこした。校訂版は国際マーラー協会も承認し、クリティカル・エディションとして出版された。校訂に際して、問い合わせを受けたウィーン・フィルの首席クラリネット奏者で副団長だった、ペーター・シュミードルがいたく感動したらしい。ついにウィーン・フィルからオファーを受けて録音を果たし、ドイツ・グラモフォンから発売された。
何とも爽やかな生き方で、素晴らしいと思う。快男児だ。第2番のみ、というのも良い。マーラーを聴きこんだ人なら、晩年の作品の方がもっとやりがいがあっただろうに……と思うかもしれない。想像するに他の曲に手を出さなかったのは、職業音楽家へのリスペクトから、あるいはアマチュアとしての矜持を保ちたかったから、ではないだろうか。