2022年06月20日

2022年7月号

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特集は「いい音で聴くラジオ」。FM放送のAM化というか、じっくり音楽を聴かせてくれる番組が少なくなったとは言え、FM放送は遠くから発信された信号をアンテナとチューナーで受けて……と、オーディオの楽しみがある分野だ。コンテンツは「FMのAM化」であっても、電波の方は「AMのワイドFM化」と追い風が吹いている。スマホにラジコの時代にあって懐古趣味のように見えるかもしれないけど、新しいオーディオファンを獲得してゆく、一つの切り口であることは確かだろう。何と言ってもきちんと設置されたアンテナとチューナーで受けた放送は、音が良いのだ。

ありがちな「今でも新品で買えるチューナー」を紹介するのではなくて、FM放送局を取材したり、お勧めの番組を紹介したり、アンテナを設置するくだりがあったり、放送を楽しんでいる人の手記が載ったり、あるいはアキュフェーズを取材したりと、力の入れ具合が素晴らしい。吉野編集長が所有するアナログチューナーとTEAC PD301X(ハーフサイズのチューナー搭載CDプレイヤー)の比較試聴記を書いているのも、良かった。

評論家の山之内さんと編集部によって、「ミュンヘン・ハイエンド」も紹介されていた。コロナ禍で製造できないことが影響しているのか、試作品にとどまりそうなものか、やたらに高そうなものが中心だったけど、M2TECHのA級モノラル・パワーアンプ「LARSON」は210mm角の立方体で、現実的なサイズだ。コンパクトなモノブロックだったらスピーカーの近くに置ける(ということはケーブルが短い)し、プリアンプからバランスケーブルでつなげば、ケーブルによる音の劣化を最小限にできる。これは、そそられる人が多いと思う。

キヨトマモルさんの「クラフト・ヴィンテージ」、「カーチューナーをオーディオとして使う!」は今号で完成だ。こういう記事は楽しい。乗りつぶしたクルマを処分するとき、たいがいの人はオーディオをつけたままにするだろうけど、取り外しておけばこんな風にも使える。あるいはヤフオクなどでも手に入れることが出来るだろうし、敷居の高い電子工作というよりは日曜大工の感覚で取り組める。

「Stereo試聴室」では現実的な価格の機器も紹介されているが、高いだけでしょーもないアンプも取り上げられている。「しょーもない」のは「見た目重視」ということであって、機能や素材、製造プロセスにそぐわないデザインは、工業製品として美しくないのだ。そういうのは音を聴く前から、「大したことないんだろうな」と思ってしまう……のはぼくだけか? やはり道具としての慎ましさや、用の美を感じさせるものであって欲しい。

「注目製品ファイル」のラックスマン PD-151MkUはアームをSAEC製にして再登場した、アナログプレイヤーだ。アキュフェーズのパワーアンプ、P-7500はAB級で300W×2(8Ω)の大出力だ。ラックスマンもアキュフェーズも、日本製ならではの生真面目さが出ていて、健在なのはうれしい。DENONのプリメインアンプのPMA-1700NEも掲載されているけど、いずれ日本のオーディオ製品がもっと評価される日が来るのではないだろうか。

「テラシマ円盤堂」は相変わらずで、「ラウンド・ミッドナイト」を丑三つ時とか何とか言ってるけど、寺島靖国さんはジャズもオーディオも論じていない。ケニー・ドーハムのプレイが「多分にマイルスを意識している」って、ドーハムが聞いたら墓の下から化けて出て来るだろう。マイルスはミュートをかぶせて静寂を表しているけど、それは後に続くコルトレーンたちの演奏があるからこそ成り立つ美だと思う。この人はコルトレーンの良さを分からないことに、いら立っているのではないか。「坊主憎けりゃ……」で「何たる馬鹿馬鹿しさ」とまでこき下ろすこともなかろうに、と思うのだ。一方ドーハムはオープンで吹いていて、楽器の鳴りそのものはマイルスよりも響いていて、こっちは直球勝負だ。

「ピーター・バラカンの新・音楽日記」ではジャズ・ハーモニカの巨匠、トゥーツ・シールマンス(バラカンさんは「トウッツ・ティールマンス」と表記しているが、検索をいくつもかけるようになってしまったら、言葉を増やす功罪はあるだろう)が取り上げられている。彼が自分よりはるかに若いピアニスト、ロブ・フランケンの影響を受けて練習していたのは、良い話だと思った。冒頭の「サウンド・フォーカス」も「音の見える部屋」も良かった。
【音楽之友社 月刊 stereoの最新記事】
posted by あおのり at 22:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽之友社 月刊 stereo
この記事へのコメント
「寺島靖国さんはジャズもオーディオも論じていない」。

僕、ジャズもオーディオも良く判りませんが、「テラシマ円盤堂」は読みます。

読んでいて楽しいからです。例えば、6月号のP150三段目、「さっそく聴かせていただいた〜止めようとしても止まらない」の8行を読むと面白い。過去の自分と今の自分を赤裸々に描いているからです。事実かどうかは別としてですが。

難しいことは書いてない。判りやすい、伝えやすい言葉を選んでいます。そのため、ジャズもオーディオも聴きやすくなる、入りやすくなると思います。内容が正しいかどうか、これまた別として。

ステレオ誌は、『オーディオの総合誌』を標榜(ひょぼう)しているので、あまり、狭い世界の事を一般的な表現から逸脱する言葉で書いてあると、困ります。僕は。

それで、6月号で言えば、P151とかP155の連載コラム(?)は、毎号読みません。何を書いているのか僕には、わかりません。

しかも、これらのコラム、題名から逸脱していて、コラムの意図が意味不明です。

Posted by 藤井明彦 at 2022年06月21日 22:03
寺島さんは、コルトレーンの演奏がお嫌いです。でもジャズファンの大多数はコルトレーンを好きだし、アイドルにしてきたサックス奏者も数限りなくいます。頭ごなしに否定すれば、物議をかもすでしょう。でも日ごろから「アドリブは分からない」とも広言しているので、言ってみれば「馬鹿より強い者はない」のが芸風です。エンターテインメントとしては、良いのかもしれない。ぼくもつい読んでしまうということは、ひきつけるだけの筆力があるということですから。

困るのは「評論家」だとか「マスター」だとか「プロデューサー」の肩書をお持ちなので、書いていることを真に受ける人もいるだろうということ。「またテラシマブシが始まった」とニヤリ、あるいはウンザリできる人ばかりではない。

ぼくが鼻につくのは、音楽家への敬意が感じられない点です。「つまらんぞ金返せ」は素人の言うことであって、「自分だったら到底できないことをしている」ことが分かっている「はず」の評論家が言うことではないでしょう。6月号で言えば「今どきドルフィーなど聴く人がいるのか」なんて、彼がどれだけ音楽に打ち込んだ天才なのかを知っていれば、出てくる言葉ではないでしょう。ぼくはドルフィーを聴いているし、彼にちなんで名づけられた猫のエリックも怒っている……かな?

「音の余白に」は主流のトピックにはならない、異端の楽しみを取り上げていて、ぼくは楽しめます。「俺にロックを鳴らさせろ」は内容以前に組版がダメで、読む気がしません。一行14字って大昔の新聞じゃあるまいに、さらに下地に写真を入れて、読みづらい太ゴシックで本文を組んで……短い間とは言え、印刷業界の隅っこにいた人間には許せないレベルです。
Posted by あおのり at 2022年06月22日 09:16
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