2022年01月27日

CD31 グラス ヴァイオリン協奏曲 シュニトケ 合奏協奏曲第5番 / ギドン・クレーメル クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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フィリップ・グラス(1937〜)とアルフレート・シュニトケ(1934〜1998)による、ヴァイオリン協奏曲。後者ではライナー・コイシュニヒも、ソリストとしてピアノを弾いている。グラス作品はミニマル・ミュージック的なところもあるが、旋律を追っていけるし楽しめる。シュニトケ作品はおどろおどろしい異様な雰囲気で、高い緊張感が続く。(1993年)
posted by あおのり at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | Grammophon 111 Yellow

橋渡しとしてのECM

ECMがリリースしてきたアルバムを、あえてジャンル分けすると実に多岐に渡っている。マイナー・レーベルでありながら、ジャズ、ヴォーカル、フュージョン、民族音楽、クラシック、古楽、現代音楽までをカバーしているのは驚くべきことだ。でもそこには共通している要素があって、技巧的に優れているミュージシャンたちが、余計なものを削ぎ落して、今までにない音楽を創り出してきたことだ。その共通要素にマンフレット・アイヒャーの美意識が投影されており、そぐわないものはその場で排除される。

「ECMの真実」(稲岡邦彌著 河出書房新社)で紹介されていた、エピソード。リッチー・バイラーク(p)がジョン・アバークロンビー(g)とのセッションで、つい熱くなった。アイヒャーが「ECMにアート・ブレイキーは要らない!」とダメ出しをしたら、バイラークは「たまには、俺たちの好きなように演らせろよ!」と応酬。あわれバイラークは出入り禁止となり、彼のリーダー作はカタログからも消されてしまった。日本ではトリオからリリースされていたので、「昔の作品も聴いてみたい」というファンのために、来日したときに買い集めていたらしい。

ダメ出しに「アート・ブレイキー(ds)」が出て来たのには、笑ってしまう。アイヒャーはアフロ・アメリカンの曲線的な、うねるようなリズムが性に合わないのだろう。ECMのドラマーですぐに名前が出て来るのは、ヨン・クリステンセン、ポール・モチアン、そしてキース・ジャレットのスタンダーズ・トリオでもおなじみのジャック・デジョネットだ。デジョネットは繊細と爆発のレンジが広いダイナミックなドラマーだけど、リズムそのものは直線的な印象を受ける。曲線的なうねりを延々と繰り返すハードバップのグルーヴは、ECMには要らないということだろう。ぼくを含めてジャズを好きな人の多くは、その繰り返しに浸るのを喜びとしているのだけど。

ぼくは高校生までロックを聴いて来て、でもキース・ジャレットの「マイ・ソング」でECMを好きになった。ロックになじんで来た耳でも、すっと入って行くことができたのだ。たとえアート・ブレイキーの「モーニン」を「これからジャズを聴くんだったら、まずコレだよ」とレコード屋のオヤジに勧められたとしても、ジャケットに恐れをなして買わなかっただろうし、聴かされても好きになったかどうかは微妙なのだ。「ECMスペシャル」というサンプル盤のピアノ編に収録されていた、ヤン・ガルバレクやスティーブ・キューン、ラルフ・タウナー、リッチー・バイラークなどのレコードを買うようになっていった。

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ECM Special VII / New Music In Piano たしか1,000円で売られていた。それで沼にひきずりこまれたので、トリオは商売が上手だった。

いずれジャンルを超えて、アイヒャーの美意識が貫かれているのがECMだ。共感することができたら、ECMを橋渡しにして他のジャンルに分け入っていくことができる。学生時代から聴き続けて意外だったのは、「即興」がアイヒャーの美意識ではなかったことだ。譜面を弾くクラシック音楽も New Series としてリリースするようになり、ガチガチに書き込まれたベートーヴェンやブラームスの曲もECMで聴くことができる。逆に、クラシック音楽のファンがECMでジャズに出会うこともあるだろう。偏狭な美意識に橋渡しをしてもらうのは逆説的で、痛快でもある。
posted by あおのり at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽と音楽家